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服育コラム

VOL.24 チョゴリ(その1)

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私たちが身近に接する外国の民族衣装といえば、お隣の国、韓国の伝統服であるチョゴリではないでしょうか?

私たちは当たり前のようにチョゴリあるいはチマチョゴリといっていますが、衣装全体は現在では韓服というのが正しいようで、日本人の民族衣装である和服にあたります。

さてそのチョゴリ(韓服)ですが、他の民族衣装と同じように歴史は古くその原型は韓民族(‘韓民族=ここでは朝鮮半島の多くの人々’ということにします。)の祖先といわれる北方アジアの騎馬民族が着ていた胡服の流れを汲んでいるといわれています。

又、チョゴリ(襦)とは韓服の上半身の衣服であり、下半身の衣服は女性用はチマ(裳=女性用)であり男性用はバチと呼ばれています。そして、頭に冠帽を載せ、腰に帯を巻き、そして靴または履(ぞうり)をはきます。この上にトゥルマギ(防寒衣)を着用すれば耐寒性に優れた胡服系統の衣服となるわけです。

その歴史(胡服から)

胡服といえば、世界的遺産となっている秦の始皇帝兵馬俑に騎馬民族であった「胡人の陶俑」が発掘されており、当時の胡服の形状を見る事が出来ます。その当時農耕主体の国であった始皇帝の軍勢は歩兵が中心であり上下一部式の衣服を着用していました。その衣服は当然ながら上下二部式の胡服に比べ機能性や戦闘能力が著しく劣っていました。そのため北方騎馬民族である胡国との戦いで、胡服の軍勢に打ち負かされてしまいました。(騎馬ですから上下二部式でないと馬に乗れません。)その戦以後、胡服に習って二部式の軍服にしたといわれています。

その胡服が韓服として歴史に登場するのが高句麗、百済、新羅の三国時代(弥生時代後期=邪馬台国~飛鳥時代)であり、その当時の韓服が描かれた壁画が確認されています。

又、胡服はアイヌの伝統衣服であるアトゥシにも影響を大きく与えており、そういった資料も残っています。

中国衣服の影響

しかしながら朝鮮半島も、日本と同じように中国の影響を受けていきます。国家機構も中国式に整わせ、農耕が主体である中国の影響は民族を騎馬から農耕化させていきます。衣服も次第に中国的な影響が現れるようになり、例えば大きくドレープしたチマは中国衣服の影響を大きく受けているといわれています。

時代は流れ、長く続いた朝鮮王朝(西暦1392~1863年)も様々な行政制度を中国(明)を手本にし、服制までも見習いました。しかしながら、官僚たちはプライベートな時は韓服ですごしたと思われます。何故なら、現在我々が目にする伝統的な韓服は、だいたい16~17世紀の頃に定着し、その後大きな変化をしていないことからも窺えます。いずれにしても、韓服は機能的に優れ朝鮮半島の気候に合致した保温性があったようです。