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服育コラム

VOL.13 冠位十二階

日本で最初に文明化させれた服制”冠位十二階”

わが国で最初に明文化された服制は、日本書紀によれば推古天皇の時代に聖徳太子・蘇我馬子らが制定(603年)した冠位十二階とされています。 これは、冠ですから、帽子(冠)で地位あるいは身分の序列を分かるようにしたということですから、厳密には服制とはいえないかも知れませんが、衣服の着用目的の一つである、地位、身分の象徴として位置付けられるでしょう。

帽子(冠)による身分の象徴

冠名は儒教の徳目を参考にして徳・仁・礼・信・義・智とし、おのおのを大・小に分けて計十二階としたそうです。各冠は色(徳=紫・仁=青・礼=赤・信=黄・義=白・智=黒)とその濃淡で区別し、功労によって昇進したようですが、蘇我氏は皇室と共に授ける側にあったようです。只、当時の冠位制の研究が進むにつれ、特に徳を紫に結びつけるのは無理であることが解ってきています。そしてその冠がどのようなものであったかは、日本書紀には『並以二当色施一縫之、項撮総如レ嚢、而着レ縁焉。唯元日着二髻華一。』と書かれており、王冠のような立派なものでなく、布の端を束ねて嚢(袋)状に縫い、(その端にあたる額などにあたる部分?)には、縁をつけるといった簡単なものであり、元日には儀礼的装いとして、その冠に髻華(うず=古代、木の枝・葉・花や造花を、冠や髪に挿して、飾りとしたもの)と呼ばれる飾りを付けることにしていたとされています。 いずれにしても、今でいえば、帽子やエンブレムの色でその地位や序列を表現させたということです。

衣服の色による地位・階級

以後、冠だけでなく、衣服本体の服制が取り入れられ、位階の表示はもっぱら服の色によることとなります。そして、718年から創り始めた養老律令(718年、(養老2年)藤原不比等らが編纂を開始、757年完成)の中に衣服令として詳細な規定が創られています。

それを、簡単に述べますと、衣服令には礼服、朝服、制服が規定されており,

礼服 (天皇)即位、大嘗祭(即位の年の新嘗祭=豊穣の祭り)元旦、朝賀、など宮廷の重要な儀式に五位以上の人が着る服。
朝服 有位の官人達が朝廷公事に携わる服。
制服 無位の人達が朝廷に出仕するための服。

として規定されています。

当時の日本の人口は600万人程度であり、奈良の都には20万人程度住んでいたようです。その内、官人の総数が1万余人、そして五位以上の貴族は百数十人、更に3位以上の公卿は十数人であったと思われます。ですから、豪華な服飾である礼服を着用できた人は限られた少数者でありました。

又、奈良時代は中国(当時の隋)との交易が盛んで衣食住の文化のほとんどは中国から学んだものであり、衣服についてもその影響が多く見うけられます。特に礼服は漢代以降の中国の祭服に範をとったものであり、それは、平安時代初期に和様の開花が見られるまで続きます。

私たちが日常使っている制服という言葉の語源は、この養老律令が始まりのようです。 今でいえば、生徒たちが着用する制服も『生徒たちが学校に勉学しにいくための服』ということになります。