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服育コラム

VOL.11 オートクチュール

オートクチュールとはパリの“高級衣装店”

オートクチュール(Haut-couture)という言葉があります。 フランス語でオート=高い、高等の、クチュール=裁縫 仕立てという意味で、直訳すれば高級裁縫という事ですが、“高級衣装店”の意味であり、特にパリの“高級衣装店”をさす事がほとんどです。この高級洋装店が今や、シャネル、クリスチャン・ディオール、ニナ・リッチ等々のブランドとなり世界的な名声を博しているわけです。

オートクチュールの歴史をたどりますと、18世紀中期のフランスでは、デザインワークを行い、裁縫し、そして服を仕立て上げるというオートクチュール的な職業が既に確立されていた様です。ローズ・ベルタンというマリーアントアネットの衣装を担当したとされる女性の名が残っています。それより以前、彼らは王室や貴族お抱えの服職人であった思われます。主人である王侯貴族の結婚式、戴冠式といった様々な式典や社交の場への出席するための衣装をお気に召すように製作していました。(究極のお誂え服です)そして、王侯貴族達が集まる社交の場で御夫人達は『あら、あなたのお召し物素敵ね、誰が創ったの紹介して頂戴。』とか『ねえねえ、◇◇◇◇王家お抱えの服職人はOO国☆☆☆王女のウエディングドレスを創るらしいわよ。』といった話題で盛り上がったことでしょう。こういった話題でご婦人たちが盛り上がるのは古今東西、老若美醜を問わず同じだと思います。その間に口コミが広がり、上手とされる服職人には世界中の御夫人達から注文が入るようになりなます。 そのような服職人が独立し(多分、元の主人をパトロンとして)オートクチュールになったのです。そしてその当時、欧米における(貴族)文化の中心はパリでしたから、そのパリにオートクチュール“高級衣装店”が集まるようになりフランスの国策にも助けられパリが一大ファッション基地となって行くのです。

さて、パリのオートクチュール達は、彼らの服創りのステータスを守るため、1910年代にオートクチュールの協会(品質、生産方法、生産点数等の取り決めを行う)を設立します。そして新勢力と旧勢力との軋轢等様々な紆余曲折はあったようですが、現在は1968年に創設されたサンディカ(パリオートクチュール組合=Chambre Syndicate de la Couture Parisinnesの略)としてまとまり、世界的にも有名なオートクチュールのコレクションを、ファッション界の一大イベントとして毎年1月と7月に行うようになりました。これも、元々は王侯貴族という一握りの階層に対しての発信でしたが、例えば、アラブの石油王(お金持ち)そして一部の成金へと広がり、今や人種を問わず、貧富を問わず世界に向けての発信に変わってきました。それゆえ、これらのショーにはあらゆる国と人種のモデルが作品を身にまとって出演しているのは美的感覚もありますが、世界に向けてのビジネスアピールの意味も大きいように思われます。(東洋人の私でも着用できる。)

オートクチュールは基本的には一点ものとしてビジネスを組み立てており(デザインとサイズのお誂え)、ショーで買い手がついた商品は他に売らないのが原則となっています。有名な社交界のある会場でどこかの由緒ある貴族とどこかの成金のおばさんの服が同じなんて洒落にならないという世界なのでしょう。