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服育コラム

VOL.17 民族衣装

民族衣装はその土地の気候風土に合った衣服の文化

飛行機も自動車もなく唯一の交通手段といえば帆船しかなかった19世紀後半までは、外国は途方もなく遠いところでありました。 自分たちが住んでいる農村や町から少し離れた地域の人たちと接触する事でさえも、大きな警戒心を持って接していたに違いありません。 自給自足が続いた長い歴史の間に、その土地の気候風土に合った独自の文化が出来あがりました。衣服もその文化とともに少しずつ変遷していったわけです。

さて、20世紀に入り交通手段や情報のシステムが発達し、現在とは比べようはありませんが、世界中にその情報が流れるようになりました。その当時、文化やファッションの中心は、西欧(パリ、ロンドン)でしたから、世界の人々はこぞってその文化を見習うようになります。1900年に開かれたパリの万博で、歴史家たちは、この博覧会に集まった世界の人々が民族衣装を着ているのを目の当たりにするのはこれが最後になるかもしれない、と思ったそうです。

日本の和服も完全なエスニック衣装

さて、ファッションでは民族衣装的なものをエスニック(ethnic)風とかフォークロアー(folklore)調とか表現します。このエスニックはどちらかいうと異教徒的な意味合いがあり、キリスト教に対して、それ以外の宗教感を持った地方(民族)の衣服であり、フォークロアーはキリスト教が中心のそれをさしています。ですから、エスニックは新大陸の先住民族、あるいはアジア圏、アフリカ圏、等で着用されている衣服をさしている場合が多いです。いうまでもなく、日本の和服も西欧から見れば、完全なエスニック衣装です。

国際理解は民族衣装の理解

英国王室では各国大使館を招待し大使の慰労を兼ねた王室主催の晩餐会を、毎年バッキンガム宮殿で行っているそうです。 元駐英大使の北村汎氏(英国診断 中公文庫)が招かれたとき時、チャールズ皇太子から『日本にはKIMONOという衣装があるのに、どうして我々の着るブラックタイで来ているのか?』と悪戯っぽく聞かれたそうです。次の年に大使が紋付袴で出席すると、そばにいた韓国大使が『私にどうしてブラックタイをしているのか?』とチャールズ皇太子にいわれたと、北村大使に耳打ちしたそうです。多分、民族衣装が珍しいと思われるどこの国の大使にもおっしゃっているのでしょう。

その礼服が本当に似合わないと思われたのか、英国風のジョークかどうか知るよしもありませんが、確かに世界を見ても民族衣装を着用する事は少なくなっています。オリンピックで評判の余り良くないデザインのユニフォームを日本選手団に着せるよりも、夏季なら浴衣に草履、冬季なら綿入りの防寒頭巾と半纏に藁沓を着せる方が、より日本の文化を世界にアピール出来ると思います。

現在の日本は欧米文化に流されて、個人のアイデンティティー(個性)のみが重要視され、日本の国が、あるいは生まれ育った土地が、学校が、家庭が持っている伝統や、それに培われた文化(それがアイデンティティーだと思います。)が、忘れ去られようとしているのは寂しい限りです。

国際化時代に生きていくという事は、自分が生まれ育った国、土地、学校、家庭の伝統や風習を含めた文化を相手の国の人に理解してもらい、又、相手の国の事も理解するといった相互理解から始まると思うのですが……。